成人式雑感
を読んで雑感。
DQNが成人式を破壊する理由
ここに書いてある、「DQNが成人式を破壊するのは、社会に対する逆襲だ」という説は正しくないだろう。
DQNが奇抜な色の羽織袴や花魁を模した衣装、良識の有るとされる人が見たら眉をしかめる格好で成人式に参加するのは、成人式を破壊しようとしているのではなく、彼らなりの成人式の楽しみ方だと考える。
自分は北九州や那覇のような都会で成人式をしたわけではなく、ものすごい田舎でこじんまりとほのぼのとした成人式に参加したのだが、参加者のかなりの部分の男性がどこで売っているのか見当も付かない原色のスーツを着て来ていた。友人同士で色がかぶらないよう示し合わせて来ていたのであろう。まるでゴレンジャーのような一団もいた。
そう、あの格好が彼らなりの正装なのだ。
成人式はお祭りなのだ。
晴れの舞台、まさしくハレなのだ。
彼らは彼らなりに成人式という祭りを堪能している。
もっと言うと、彼ら、所謂「マイルドヤンキー」は毎日の生活に不満を持っておらず、毎日の生活をそれなりに幸せに暮らしている。
確かにブログ主の言うとおり、偏差値により階層化された社会であるというのは事実であろう。そうであるからこそ、ブログ主のようなエリートの生活はどういうものか知らないし、興味も起こらない。
したがって、「社会に対する逆襲」など思いもしないだろう。
近年荒れる成人式が目立つ理由
彼らのセンスは「特攻の拓」等の昭和のヤンキー漫画に出てくる格好そのもので、特に目新しいものではない。旧車会等で現在も見られるヤンキー文化が継承されたものであろう。
ここ十数年、暴走族等による器物損壊等の事件は減ったのではないかと考える。(ソースなし)
荒れる成人式が目立つようになったのは、成人式以外で、そのような衣装を着て乱暴な振る舞いをすることが少なくなったからではないだろうか。
近年の若い人たちは、成人式ではなんとなくはめをはずしていい雰囲気だから、乱暴するけど、それ以外ではそれほど問題を起こさない、社会性のある傾向があるのではないだろうか。
はてぶ見て
このブログ主は、小学校時代が不遇で、それに対するうらみつらみがここには書かれている。それに対する反応は「醜悪」だの「心が貧しい」だの「歪んでる」だの「クズ」だのきつい言葉が多い。
ここで言っている「社会は偏差値によって分断されている」は大筋事実だろう。あるコミュニティがあれば、それは、ある程度学力偏差値でクラスタをなしているだろう。田舎でマイルドヤンキーをしている人と、エリート商社マンでは平均学力偏差値は有意な差があるだろう。学力偏差値は万能のものさしではないが、社会が学力偏差値、正確には学力テストの点数をものさしにしてコミュニティの篩い分けを行っている以上「偏差値によって分断されている」のは事実だろう。
小学校時代のつらい思い出が、自分と違うコミュニティに対する非難となっているが、それに対してかける言葉が「醜悪」等と言うのは冷たいのではないだろうか。その言葉は何も改善しないのではないだろうか。
まぁ、仕事の取引先が見るであろうブログで、このようなことを書くのはやめたほうがいいと思うが。